ローシーズンのアコンカグア単独登山へ~世界一周中の挑戦~その②

2017/11/01

ローシーズンのアコンカグア単独登山へ~世界一周中の挑戦~その②アイキャッチ

この記事は、ローシーズンのアコンカグア単独登山へ~世界一周中の挑戦~その① の後半編になります。まだ読まれていない方は、前半編からご覧ください。

 

6日目 ニド・デ・コンドレス 休息日

日付:2月28日
天候:晴れの時々雪
標高:5,560m(ニド・デ・コンドレス)
気温:-10℃前後(日中)
距離:-
時間:-

命の水作り

10時に起床。最強装備で寝たら寒さで苦しむことはなかった。これなら更に上のキャンプ地でもやり過ごせるだろう。しかし引き続き頭痛があるし、おまけに手のむくみも、吐き気もある。完全に高山病の症状が出てしまった。とりあえず今日は先に進むのは止めて、休息日にしよう。

朝はいつものように天気がいい。今の内に水作りをしてしまうことにしする。昨日は吹雪の中、水もなく喉が渇いてしょーがなかったのだ。ストーブの調子が心配だったが、不完全燃焼で弱火ながらも雪は溶けてきている。

二時間ぶっ通しで水を作り続け、大量の水を作ることが出来た。これだけあればしばらくは大丈夫。しかし雪解けの川の水は旨いのに、雪を溶かして作った水はどうしてこんなにまずいんだろう。そんな文句を言いながらもグビグビ飲む。あー五臓六腑に染み渡る。何とか生き返った。

続けざまに朝食兼昼食を作りに掛かったが、ホワイトガソリンが切れて一時中断。山頂に雲が出てきた。急がなければ!昨夜の夕飯もろくなものを食っていないので多めにオートミールを作った。 飯を食ってからは、天気のいい内にこの辺りを把握しておこうと散歩することに。

 

同士の出会い

ここでは、プラサ・デ・ムーラスでも出会っていたパブロとジョセフに再会した。彼らはどちらもピンで来ていたが、ルートと日程が同じなので一緒に行動しているという。状況を聞くと、俺が考えているのと同じ日程でアタックするということで、明日は俺も彼らと一緒に次のキャンプ地であるベルリンに行くことになった。

これから先の山行は命の危険すらある極地だ。誰かと一緒に行動するのはちょっと面倒だけど、安全面や道具の共有化など、メリットは計り知れない。

今日は17時になっても天気がいい。六日ぶりの快晴だ!!今日みたいな日にアタックだといいんだが。と感心したのもつかの間、あっという間に雲に包まれ雪が降り始めたと思ったら、2時間ほどでまた晴れてきた。山の天気はむちゃくちゃだ。

 

ビューティフルサンセット2

影が自分の背丈を追い越して伸びていく。そろそろ日の入りだ。すでに雲よりも高いこの場所で、地平線のその奥へ沈みゆく太陽をじっと眺めていた。無音-。人の話し声も風の音すら聞こえない、ただただ静寂。太陽以外の時が止まっているかのようだ。美しい。

ニドデコンドレスの夕日

完全に太陽が沈みきると、余韻に浸る間もなく今度は刺すような寒さが襲ってきた。ここからまた長い夜が始まる。この場所の酸素の量は、平地の半分以下という地獄。もはや本など読んでも頭に入らないのだ。そして何本かの指と爪との間に血がにじんでいる。もしかして、ビタミン不足による壊血病か??

 

7日目 ニド・デ・コンドレス~ベルリン

日付:2月29日
天候:晴れ
標高:5,560m(ニド・デ・コンドレス)~5,930m(ベルリン)
気温:-12℃前後(日中)
距離:2km
時間:2.5時間

高山病の苦しみ

やっとか。。高山病の症状が酷く、永遠にも感じる夜をただひたすら目を閉じ、ようやく迎えた夜明け。時刻は8時。強い風と共に、テントに雪がバシバシと叩きつけられているのを寝袋にくるまりながら聞いていた。

こんなんで本当に今日ベルリンまでいけるんだろうか??食欲不振、頭痛、吐き気、むくみ、睡眠障害、酷くは無いがこれ以上登ればこれらがどう悪化してくるか。不安で押しつぶされそうだ。早く下界に降りたい・・・。テンションがどんどん沈んでいく。とにかく一発うんこして気合を入れ直すぞ!!

外へ出ると風は強いものの意外と天気はいい。ズボンを膝まで下ろし、遥か日本を見据えてクソをする。ケツにバシバシ雪が当たっても気にしない、俺は山の不動だ。

パブロたちの話によると、上のキャンプ地ベルリンには二つの山小屋があるという。その話を信じて、テントとその他不要なものはここへ置いていく。なぜならば、ベルリンから上はもうアタックしか残っていないのだ。もう登山も終局へと差し掛かっている!!

 

仲間を結集し、次のキャンプ地へ出発

パッキングを終えてパブロのところへいく。皆もとんど準備を終えている。彼らと相談して、食料やストーブなどシェア出来るものはして可能な限り荷物を減らそうということになった。おかげで俺はストーブを置いて行っていいということに。

そして出発。パブロは若いアルゼンチン人だが英語も堪能で育ちの良さを伺わせる。ジョセフはドイツ人のおっさんで、一番山の知識と経験が豊富でとにかく頼りになる。何よりも、二人とも人当たりが良くて優しくて、ナイスガイだ。一緒に行動し始めてすぐに好きになった。

 

 

ジョセフとパブロのパーティで登る。仲間って最高っ!
登山仲間と一緒に

それにしても彼ら、とてつもなく歩くのが速い。付いて行くのが精一杯どころか、遅れをとる。自分では登りの速さについては結構自信があったのだが、彼らと比べるとそれが勘違いであった事に気付かされる。

吐き気を催しながら必死で彼らを追いかけるも、遅すぎて結局1人になっている。うん、仲間って大切だな。10歩度に激しい呼吸、この雪さえなければもっと楽なのに!!そして出発から2時30分後、まるで小人の家のような小さな小屋が現れた。

 

第五キャンプ地 ベルリンに到着

雪で小屋が埋まっていたが、かき出せばすぐに使えるようになった。大人三人と荷物を入れればもう一杯。扉も外れていて使えなかったが、これでも思っていたよりもしっかりした小屋に三人は大喜び。もう登頂はもらったものだとハイタッチで喜び合った。

キャンプ・ベルリンの小屋

三人が三人とも少なからず高山病の症状を訴えていた。高い標高ほど大量の水分を取ることが高山病対策には重要なことなので、早速大量の雪を袋に入れて小屋に集め、水分摂取に努めた。トマトスープ、鶏がらスープ、クリームスープ、お茶、オレンジジュースなどなど、三人で1つのストーブを囲み、同じカップで回し回し飲んだ。

一体どれくらい飲んだ頃だろうか、もうスープはたくさんだということで夕食のパスタを作りにかかった。この高度になると沸点が下がってしまいパスタが中々茹で上がらない上に、茹で上がってもまずい。頭痛と腹の調子は相変わらず悪いため、食べなきゃいけないのにほとんど食えなかった。でも総合的に見て体調はそこまで悪くない。皆で話し合って、明日アタックしてみようということになった。

 

仲間の絆

パブロと小屋の中で一枚。3人での写真は頂上でと誓ったのだが・・・。アコンカグアの仲間と

明日の出発予定時刻は7時。暗くなると寒くなるので皆寝袋に入った。三人川の字で横になっていると1人よりもずっと心強い。すぐには眠る事が出来ないので皆で色んな話をした。家族のこと、仕事のこと、流行っている遊びやギャグなどで笑いあった。

6,000mの高度では、笑いであっても息が切れるので楽ではない。でもみんなきっと感じている。明日自分がどうなるか分からない極限状態の中で、少しでも不安をかき消そうともがいていることを。みんな不安でたまらないのだ。

しかし不思議な状況ではある。国も違えば世代も違う、普段だったらまず交わらなかったであろう人たちと、今こうして同じ目標をもって結束しているのだ。

旅も山も基本は1人。だからこそ分かる仲間といる時間の楽しさと大切さ。ほんとに仲間って最高だなぁとしみじみ感じ、こいつらと一緒に頂上に立ちたい。いや、絶対立つんだ!!!とやけにやる気がみなぎってきた。皆で一緒にサミットで写真を撮ろう、という言葉で会話が終わり、長い夜が更けていった。

 

8日目 ベルリン~山頂アタック

日付:3月1日
天候:晴れのち雪
標高:5,930m(ベルリン)~
気温:-15℃前後(日中)
距離:6km(往復)
時間:4.5時間

勝負の朝

胸くそが悪くて何度も起きた。とにかく息苦しい。だがそれも今日までだ!さっさと登頂して南国へ行くぞ!!!5時に起きて雪から湯を沸かし水分を取る。シリアルを食う。まだ暗いが外は快晴。風もあまり感じない。絶好の出発日和だ。テントもないのになんだかんだと時間がかかったが、7時20分ようやく出発。

今日は始めからプラスティックブーツとアイゼンを付けて行く。ずっと荷物としてクソ重かったのだが、ようやく出番だ。気温は-15℃と思ったほど低くなく、寒さは気にならない。そしてアイゼンの効果は絶大で、雪の上でもあまり滑らなくなった。

降り積もった雪で道は消えているので、自らの力で雪をかき分け道を作っていかなければならない。つまり、俺たちが最初に頂上へ出発したことになる。こっちだろー、いや、こっちじゃねーかと道を何度も間違えながら、徐々に高度を稼いでいく。

高山病を克服し、気力も体力も十分!!これなら登頂できるぞ。いつも10時30分ぐらいに太陽を見ていたので、8時ごろに太陽が地平線から出てきたのには驚いた。真っ白な山の斜面に太陽の光が反射して、目に刺さるように眩しい。ニド・デ・コンドレスではサングラスをしていてもこれで目をやられている人がいた。

 

不安な兆候

太陽が出てくると同時にアコンカグアが西方に巨大な影を写した。その影の山頂付をよく見ると、左の方に何かを巻き上げている様子もはっきり見て取れる。そして、気になるのは山頂上空にかかり始めたうろこ雲。どれもこれもあまりいい兆候とはいえない。

 

大きなアコンカグアの影。頂上部を見ると風で雪を巻き上げているのが良くわかる。
アコンカグアの巨大な影

しばらくするとインデペンデンシアという半壊した山小屋が現れた。ぶっ通しで歩いてきた時間も2時間30分ぐらいになるので休憩するにはいいポイントだ。スナックなどを食べながら10分程休憩してすぐに出発。ここからはかなりの角度の坂を何度もジグザグに登って行く。この辺りはいっそう雪の積もり方が激しい。

 

膝まで埋まる雪をかき分け道を作りながら登る。
トラバースして登る

ゼイゼイと激しい息遣いでそこを登りきると、猛烈な風が俺たちを襲った。どうやら今の坂で尾根をまたいだのだ。ここからは山頂辺りが眺められるはずだが、すでに不気味なほど暗い雲が取り巻いていて山頂を伺い知ることは出来ない。あれは噂に聞くアコンカグア特有の嵐”ビエント・ブランコ”ではないか!?

 

道を見失う

あまりに厳しい条件に、言葉もなく顔を見合す三人。相談の結果、もう少し行ってみようということに。雪は風で飛ばされて今まで程積もっていないが、とにかく向かい風が強烈で顔が上げられない。それでもめげずに前へ進んでいたが、ついにここからどこへ行ったらよいか分からなくなった。この辺りは山頂までの大きなトラバースルートのはずだが。

しばらく三人でルートを探すが見つけられない。その内にジョセフが、足の感覚がなくなってきたと訴えだした。ルートを探しているうちに、辺りが暗くなるほどのガスと吹雪に見舞われた。さすがに俺もこの気象条件で挑戦するのは命を捨てるようなものだと思う。パブロも頭を振り無理だという顔をしている。

とりあえず、先ほど休憩したインデペンデンシアの小屋まで戻ってしばらく様子を見ようということで意見は一致。一路来た道を引き返していった。引き返す道も楽ではなく休み休み行かなければならなかったが、尾根をまたいで北側の斜面へ出ると風は落ち着きを見せた。

インデペンデンシアの半壊した小屋に着いてからは、これからどうするかということを三人で話し合って決めねばならなかった。ジョセフは足先の凍傷を気にしているらしく、しきりに足の感覚がないと言い主張する。パブロはこの天候じゃサミットまで行くのは不可能だと主張。俺は身体的には問題ないが、この天候では無理だということに同意。つまり、三人の意見は下山ということで一致した。

 

アタック失敗

ジョセフは高度計を見て「我々は6,500mまで行った」と言ってハイタッチを求めてきた。パブロとも満足気にハグをしている。俺はてっきり明日もう一度アタックするつもりの一時退却かと考えていたが、まさか山を降りると言うのか?ここまで来て諦めるつもりなのか!?どうしてそんなにあっさり諦められるのか。時間も金も体力もこんなに使って、後もう一歩というところまできて。

俺の表情は浮かないままベルリンまで降りてきた。そして俺が切り出した。「俺は明日もアタックするけど、ジョセフたちはどうするんだ?」と。ジョセフもパブロも俺よりすでに4日程多くこの山にいる。精神的に限界なのかジョセフはこう言った。「我々はもう天候を待つのには疲れた。登りたいが私はもうこの山の天気を信用していない」と。パブロも同じ意見のようだ。

俺はこの三人で登頂したかった。パブロは落ち込んでいる俺に気を使って、今日中にベースキャンプに下ってしまおうというジョセフの意見に反対して、今日はもう遅いからここに泊まって明日の朝に降りようと言ってくれた。パブロ、大好き。

しかし早く降りたいジョセフがそれを承諾するわけがなかった。懇々とパブロに早く降りたほうがいい理由を説明している。がんばれパブロ!負けるなパブロ!と心の中で応援していたが、ついにパブロが折れた。パーティー解散が決定。ただ、俺がストーブや食料を持っていないことを気にかけてくれ、ジョセフが持ってきたストーブを俺に託してくれた。パブロは食料を好きなだけ持って行ってくれと言ってくれた。じーん。見送ったときに皆とハグしたときはやっぱり泣きそうなった。グレートな奴らだ。

 

また一人ぼっち

そして1人、広くなった小屋で、寂しさと挫折感に打ちひしがれた。あれだけ絶対登る!という硬い決意でアタックしたのに、いとも簡単にはじき返された。まさか本当に登れないなんてショックを隠せない。素人が登れるとはいえ、7,000m級の山を舐めていた。あの荒れた山頂付近の光景は今思い出しても恐ろしい。

1人になると急に、水を作るのも飯を作るのも面倒になった。スープとパンでいいや。午後からは風が弱まり、その分雪が強くなった。音もなく深々と降り続いている雪を見て、こりゃまた道が消えて明日は大変になるぞーとウンザリする。

外は雪も降り続いていて寒いので、室内でトイレをした。うんこは直接うんこ袋なの中へ、ションベンはペットボトルへうまくストライク。最初はパッキンのない袋にうんこを入れるなんて臭くなるし漏れたら大変だと思っていたが、それはまったくの杞憂だった。うんこは数時間も放っておけば単なる氷の塊になり臭いもしなくなる。

はぁ、1人では何をやっても空しい。仲間がいるというのは楽しいだけでなく、モチベーションの維持にも一役買っていると思う。このまま1人が続くと・・、明日また登れなかったらヤバイかもしれんな。寝袋を涙で濡らしながらいつのまにか就寝。

9日目 ベルリン~山頂アタック(2回目)

日付:3月2日
天候:晴れのち曇り
標高:5,930m(ベルリン)~6,962m(サミット)
気温:-15℃前後(日中)
距離:7km(往復)
時間:12.5時間

近づく限界

5時に起床。寝袋の中に四つも湯たんぽを入れたから一晩中暖かかった。だがやはり標高が高いせいか、寝袋に包まっているとむちゃくちゃに暴れまわりたい衝動に突然駆られたりする。

喉が渇いたので水を飲もうとグイっと口へ入れたら、それはホワイトガソリンだった。おぅぇっぐぉぅぇ、ぺっぺっ。もーダメだ。正直、これ以上環境の厳しいところで生活するのはもう身体的にも精神的にも限界だ。だからなんとしても今日は絶対登るっ!!登ったるんじゃーい!!!

と、小屋の扉を開けた。雪で扉が三分の一くらい埋まっている。昨日より一層深くて白い世界が広がっており、山頂付近はガスで覆われていた。まだ日が出ていないので暗いし、こんな深い雪を1人で歩いて行けるわけがないと半ば諦めて小屋に引きこもってしまった。あーどーしよっかなーと悩んでいる内に二度寝してしまう。

はっと気が付いたら8時を回っていた。風が強いが山頂付近のガスは取り除かれている。うーん、出発するにはちと遅いし、また天気悪くなるかもだし、どーしよーどーしよーどーしよーわぁぁん!!えーーいままよ、もうとにかく出発してしまえーぃ!!!

 

2度目のアタック開始!!

強引に装備を整え、勢いだけで8時40分に出発してしまった。 ばふっばふっばふっ、はぁーはぁーはぁー、ばふっばふっばふっ・・・。なんということだ。雪が膝まで埋まる。元のトレイルがあった場所など分かるわけがないので、腰ぐらいまで埋まることもしばしば。こんなことで本当に頂上へいけるのか心配になったが、それでも歩みを止めなければいつか辿り着くだろうと考え歩き続けた。

 

ベルリンの小屋は2つあったが、一つは雪で埋まって使えなかった。

しばらく歩き続けると、ずいぶん上の斜面に人がいるのが見える。それも1人や二人ではない、あれはキャンプ・カナダで会ったグループツアーの野郎どもだ!!他に登山者がいたことで急に精神的に強くなった。途中から彼らが通った轍が現れたのでありがたく使わせてもらった。

途中、引き返してきた女性に会った。よく見ると泣いている。一体何があったのか聞いてみると、興奮気味に何かを話したがよく聞き取れない。なにやら手が冷たくて凍傷になったかもしれないと言っていたと思う。もう二度とこんなところに来るかという感じだった。一体どんな恐ろしい目に遭ったというのか、上に登るのがイヤになったがそれでも歩みを止めなかった。

黙々と登っていたら、もうグループの後方に付けていた。今抜いてしまうと道が分からないので、少なくとも大トラバース地点(昨日迷子になったところ)までは先導してもらおうと思った。しかしゆっくり歩くのは意外に難しい。

 

周りの山よりも数段高くなり、上から見下ろすように大氷河を眺められる。アコンカグアからの眺め

気が付いたら前は先導するガイドただ1人になっていた。わざとらしく長い休憩で感覚を空ける。今日は昼を過ぎても山頂の天候は引き続き安定している。当たり日だ、これならいけるぞ!! 大トラバース地点へ来てから大体の見当はついたので、ガイドを抜いてスパートをかけた。ここまできたらあと標高差400m、ちょろいものだ!!

と思っていたがやっぱり先頭はしんどい。場所によっては腰まで埋まる。この運動量に対して明らかに酸素が足りない。それでも一度抜いた奴らに抜かれるのもしゃくなので、苦しいのをこらえて登り続けた。そして昨日越えることが叶わなかった大トラバースをついに抜けた!!!

 

昨日の記録更新!しかしさらに地獄が

ここまできたら後は楽勝、と思わせておいてここからが本当の地獄だった。坂はアイゼンをはいても滑る急坂になり、その上にはたっぷり積もった雪だ。それだけでも相当体力を消耗されるのに、中に隠されている石につまずきバランスを崩したりして怒りすら感じた。大きな岩などが邪魔して未だに頂上が拝めない。そのため今自分がどの地点にいるのか把握できないでいた。

無限に思えた急坂を越えると、ついに頂上が見えたっ・・・のに全然喜べなーいっ!!!なんという遠さだろう。鎌のように曲がった尾根が続いており、その山腹を伝って行くようだ。地図ではここまで距離があることは分からなかった。

ここでも大量の雪に苦しめられた。なぜ1人で来たんだろう。なぜこんなに苦しいことを進んでしてしまったのか。なぜ、なぜ、なぜ。ネガティブなことばかり考えて、途中マジで諦めそうになった。ここまで心が折れそうになったのはこの旅で初めてだ。ここに来るまで道を切り開いてきたために、体力を使いすぎていたのだ。

山頂は目に見えるがどこまでも遠くに感じる。たっぷり休んで歩き出すも体のキレが悪い。頑張れ俺!!ちょっとずつでも、一歩ずつでも歩いていればいつかかならずゴールには辿り着くんだ!!!

 

6,962mの人生最高地点へ

アコンカグアの頂上

そしてついに、この日初めての人間がアコンカグアの頂上に立った。はぁー疲れたー。時刻は16時30を回っている。ほぼぶっ通しで8時間も登り続けたのだからそりゃ疲れる訳だ。ここでは頂上の証明である金属製の十字架が俺を迎えた。写真でお前のことよく見たぞー、とぐりぐりしてやる。その下には防水の記帳があったが、疲れていてそんなもの書く気になれない。

アコンカグアの頂上3

ほっとしたら急に我慢していた便意が襲ってきた。こんなところにうんこ袋を持って来ているわけがなく、しかし我慢できそうにないので仕方なく適当なところへ行って一発かます。力んだだけで激しく息切れ。紙も持って来ていないので雪でケツを洗う。あーあ、やっちゃった。でもこれは不可抗力、緊急事態だったのだから仕方ない、よね?

アコンカグアの頂上2

頂上は25mプールほどの平らな土地が広がっている。もちろん断崖絶壁で。おぉースゲースゲー、ここからは出発してきたオルコーネス谷が見える。あの時はここに立つために息巻いてたなぁなんて懐かしくなる。

確か幹線道路上からもアコンカグアが見え、ビューポイントには多くのバスが止まっていたはずだ。今下界からこちらを見上げているであろう人に大きく手を振ってみる。俺から見えないんだから気付くはずも無いが。

アコンカグアの頂上5

目線を移すと、あまりにも有名なアコンカグア南壁がキレイに切り立って見える。あぁ、なんと素晴らしい光景だろうか。俺は今南北アメリカ大陸の最高地点に立っているのだ。恐らく人生でもこれ以上標高が高い地を踏むことはあるまい。

アコンカグア南壁

1人で悦に入っていると、ようやく後続の1人がやってきた。その人は女性で「神様ありがとう、神様ありがとう」とスペイン語で何度も繰り返し、泣きながら俺に抱きついてきた。今まで大した感情が沸いて来ないまま頂上にいたが、彼女のダイレクトな感動を見ていると俺まで涙ぐんでしまった。

そうなると俺もダメだ。今までの苦労と、なにやらごっちゃまぜになった感情が止めどもなく溢れてきて涙が止まらなくなった。最高だよちきしょぉ~。なんでパブロとジョセフは帰っちゃったんだよぉ~。ここでみんなで写真撮ろうって言ってたじゃないかぁ~!!

アコンカグアの頂上4

 

どこまで戻れるか、一路帰路へ

さて、落ち着いたら早速降りることにする。頂上には30分程度しかいなかったが、時間も17時を回っているので早く帰らないと暗くなってしまう。そして早く酸素の濃いところへ行きたい!!出来ればベースキャンプまで帰りたいが間に合うか!?登りでほとんど力を使い切ったので、下りは惰性を使っても疲れる。

あーしんどいしんどいと思いながら下っていたが、遂にエネルギーが底をついたのを感じた。大して気温も低くないのに、体温を保てなくなってきたのかとても寒い。もう視界にはベルリンの小屋が映っているというのにっ!!!

一日中この標高の中を歩いていたのに、食べたのはクッキー数枚とチョコバーだけだ。力尽きるのも無理はない。しかも一日誰も通っていなかったのか、風で朝通ってきたトレースが消えている。また一からズボズボと道を作っていかなければならない。追いかければ消える蜃気楼のように、ゴールの小屋は歩けど歩けど近づけない。これは幻なのか。。

 

ベルリンどまり

20時55分、倒れこむようにベルリンの小屋に入った。予定ではそのままベースキャンプか、もしくはテントを張ってあるニド・デ・コンドレスまでは戻るつもりであったが、とてもそんな体力は残っていない。精も根も尽き果てたとはこのことか。

何もせずに眠りたかったが、何か食べなければもう2度と起きられない。何を作ろうと考えたが、気分が悪くてどんな料理を連想しても吐きそうになる。腹は減っているが何も食いたくはない。とりあえず、湯を沸かしてスープを作ってみたが舐めるだけで吐きそうになった。

どうやら体力を使いすぎてまた高山病になってしまったようだ。なんとかしてスナックや干し物を呑むように水で流し込んむ。寒い。寒さが尋常じゃないのでストーブで湯を沸かし小屋を暖めた。明日中にこのストーブをジョセフに返さなければならないのに、あと一日でメンドーサまで帰れるのだろうか・・。不安だ。そしてストーブを付けっぱなしにしたまま疲れ果てて眠ってしまった。

 

10日目 ベルリン~コンフルエンシア

日付:3月3日
天候:晴れのち曇り
標高:5,930m(ベルリン)~3,300m(コンフルエンシア)
気温:0℃前後(日中)
距離:33.5km
時間:13時間

鬼の下山

俺は登頂したんだ、下界に降りれるんだ、と寝袋に包まりながら実感が沸いてきた。8時に一旦目覚めたが、2度寝してしまい9時に起きた。パッキングをしてから湯を作っていると出発は10時を過ぎてしまった。バカバカ!今日はバス乗り場まで行きたかったのにこれでは遅すぎる!

出発してから40分程でニド・デ・コンドレスに到着。3日ぶりに自分のテントを見たが、雪で周りが埋まっていた。除雪をしてさっそく片していく。

全てバックパックに詰め込んだところで、落し物に気が付いた。ベルリン-ニド・デ・コンドレス間にマットレスを落としたらしい。あのマットレスは、2年前ネパールで買った上等のやつで気に入っていたのに!!また登るのもしんどいので、後ろ髪惹かれつつも諦めることに。

あー下りは下りで非常にダルイ。何度も雪に足を滑らせコケタ、ワロタのオンパレード。しかし、登山のケガの8割は下山中に起こるということも聞いていたので、最後まで気を抜かないで降り切る!!

ようやくベースキャンプのプラサ・デ・ムーラスまで降りてきた。久しぶりに戻ってきたら明らかにテントの数が減っている。クライマーが減ったのかとも思ったが、それ以上に業者のテントの数が減っていたのだ。来たときはインターネットに電話にと出来ていたテントが(高いからもちろんしてない)撤退してがらんどうになっている。いよいよシーズンも終わりということか。

ちょうど昼の時間なのでここで昼食休憩をとった。旨いインスタントラーメンをすする。そして余った食料も全てここのテントの人たちに譲ってきた。

ここプラサ・デ・ムーラスから登山口のオルコーネスは30km程あるらしいので荷物は出来る限り少なく行きたいところだ。なんだかんだと出発は15時10分になった。急がなければ。

 

政府のチェックポイントで清算

ベースキャンプのチェックポイントでレンジャーに凍ったうんこを渡す。これを怠ると罰金100ドルらしい。あと、うんこは頂上にもあります。と言えるわけはない。登頂したこともここで報告。この天候で良くやったと言ってもらえてとても誇らしい。雪が降ってき始めてからは、ほとんど登頂の報告が上がっていなかったそうだ。

標高が下がるにしたがって息がずいぶん楽になってきたのが分かる。この調子で飛ばしていくぜ~!!と最初は調子がよかったが、2時間ほどぶっ通しで歩き続けて思い出した。そういえば来る時もこの道には変化がなくて苦労したんだっけ。

 

喉が渇いているのに水浸し

荷物を最小限にしようと水を500mlしか持って来なかったのだが、これが問題だった。ちびちび飲んでいたのだが、見たことある景色が出てきたもんでコンフルエンシアまであともう少しだ!と勘違いして飲み干してしまった。それ以来歩けど歩けどコンフルエンシアが見えてこない。ひたすら景色がほとんど動かないドデカイ谷を歩いている。まるで如来の手の平のように。

プラサ・デ・ムーラスから歩き始めて5時間、20Kgはあるバックパックが肩に食い込み、喉が渇いて喉がくっつくき唾すら出なくなってきた。だんだん脱水症状でぶっ倒れるんじゃないかと心配になってきた。飲み水に困っているくせして、途中、泥川にハマって靴が水浸しになったりする矛盾。

そして両足の裏にはマメが出来てきて潰れて激しく痛む。距離的には問題ない距離のはずだが、やはり荷物が重く足の裏に相当の負荷がかかっているのだろう。昨日の夜から栄養もロクにとっていないので体に力が入らない。

足をびっこ引き始めてきた頃、ようやく一泊目のキャンプ地だったコンフルエンシアに到着した。もー無理。一日でベルリンからメンドーサに行くなんて土台無理な話だったんだ。水、水、水、みーずー。1Lくらい水をがぶ飲みして落ち着きを取り戻した。時間を見るともう21時だ。

先に進むことは諦め、暗くなる前に腹が減ったのでテキパキと食事を作りにかかった。飯を作っている間にテントを設営。時間を有効に使う。贅沢にシーチキンをたっぷりいれてパスタを頂く。旨すぎる。

食べ終わった頃には完全に暗くなったが、ベルリンにいた頃と比べると遥かに暖かい。裸踊りでも披露したいぐらいだ。明日までジョセフがメンドーサで待っていてくれるか心配だ。さぁ今日も疲れたしたっぷり寝るぞ!!22時50分、就寝。

11日目 コンフルエンシア~メンドーサ

日付:3月4日
天候:晴れ
標高:3,300m(コンフルエンシア)~760m(メンドーサ)
気温:10℃前後(日中)
距離:9km(歩行のみ)
時間:5時間

下界に戻る日

やはり一泊目にコンフルエンシアに泊まったとき以来、実に10日ぶりに熟睡できた。そして8時に周りのテントの音で目を覚ます。やっべ、遅刻ー!!!パンを食べちゃっちゃとパッキングを済まして9時に出発。「おぅふっ!!」足の裏がめちゃくちゃ痛い!!体力は回復しているが、両足の裏のマメがいくつか潰れて歩くたびに激痛が走る!

コンフルエンシアから登山口のオルコーネスは距離は短かった印象があったが、こんな状況だとひたすら長く感じる。ふと後ろを振り返ると、アコンカグア南壁がキレイにその姿を現していた!!おぉー、2日前にあの頂点にいたんだなぁ、俺ってスゲくね?と自分で自分を褒めてみる。

オルコーネス谷からのアコンカグア

湖とアコンカグアが見える絶景ポイントでしばし休憩。そこにカップルがやってきた。適当に挨拶を交わし話をしていたら、どこまで行ったという話になったので頂上まで、と言った。彼らは口をあんぐり開けて驚いている。彼らはコンフルエンシアまでのパーミットで登山は出来ないようだ。それ以来やけに親切に色々としてくれる。しかし登頂したと言うのはなんと誇らしいことだろう。

アコンカグアに最後の別れをして、オルコーネスの登山口へ向かった。そして、ここでベースキャンプで出会ったイギリス人女性と再会。なんとこの女性、ヘリコプターで頂上に行ったというのだ!!俺の努力は無駄だったのか?シートに座って足組みながら鼻くそホジホジしてれば着くような頂上に、俺は満身創痍になりながら行ったというのか!?

登山とは一体なんだったのか。非常に哲学的なことを考えさせられた。

 

満身創痍の体

ここからどのようにしてメンドーサまで帰るのだと聞くと、ここから歩いて20分の町まで行ってバスに乗れと言う。あと20分で出発するので急いだ方がいいというので、すぐにその村へ向かった。

この途中にまた新たなマメが潰れて激痛に苛まれながらも、それでも急いで村へ向かった。しかし、遠くの方に村は見えたまま、出発して20分が過ぎた。この距離を20分で歩けるわけがない。

その村、プエンテ・デル・インカに着いたのはそれから1時間以上も経ってからだ。当然のごとくバスはすでに発っていた。次のバスも数時間来ない。はぁ~。腹が減った。

紫外線にやられた唇はただれ、手は爪が割れて血が滲み、足はマメと靴擦れでボロボロ。その上にこの精神的打撃なんだからもうだめだ。食うしかない。

 

ハンバーガーとピザとコカコーラ

ここにあるレストランで次のバスが来るまで休ませて貰うことになった。この村にも観光ポイントがあるが、もう普通に歩けない。しかし観光などどうでもいい。このレストランで、アレを食すのだ。本当はメンドーサに帰ってから、まとめて文明のありがたさを感じたかったが、この待ち時間では致し方ない。

ハンバーガーとピザとコカコーラ、文明的な食事と言えば、この組み合わせに尽きる。

しかし出てきたのは、予想よりもはるかに出来の悪い代物。まーまーの金額を取りながらもこの仕上りはなかろうて。ペロッと平らげた後に襲ってくる後悔。あぁ、やっぱりメンドーサまで我慢したらよかった!!

ついにメンドーサへ!ジョセフと再会

そしてバスは定刻どおり16時45分にやって来て、俺をメンドーサへと運んだ。 メンドーサまでには4時間もかかった。時間を置くとさらに足の痛みが増していて、両足びっこ状態だ。人々が奇異の目で俺の足を見てくる。バス停から宿までは徒歩3分程度と近いのだが、これがこの足だと数キロ先にも感じる。荷物を置くと、痛んだ体に鞭打ってジョセフが泊まっているという宿へ直行。彼から借りているストーブを返すためだ。

ジョセフと再会したときは本当に嬉しかった。彼も俺の登頂を我がことのように喜んでくれた。そして私もいつかまたチャレンジすると。熱い握手を交わし、俺のアコンカグアへの挑戦は幕を閉じた。

2017/11/01